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音楽や映画、好きなものの雑記帳

The Great Gatsby

これはThe Great Gatsbyについて「アメリカ人のidentity」という観点から考察したものである。

 

ニューヨークにある自由の女神像の台座の内部にはEmma Lazarusのソネットが記されたブロンズ板がある。

"Give me your tired, your poor,

Your huddled masses yearning to breathe free,

The wretched refuse of your teeming shore.

Send these, the homeless, tempest-tost to me,

I lift my lamp beside the golden door!" (The New Colossus, 1883)

「我にゆだねよ

汝の疲れたる 貧しい人びとを

自由の空気を吸わんものと

身をすり寄せ 汝の岸辺に押し寄せる

うちひしがれた群集を

かかる家なく 嵐に弄ばれた人びとを

我がもとへ送りとどけよ

我は 黄金の扉のかたわらに

灯火をかかげん」(訳:田原正三)

 

ここに端的に示されているように、アメリカは植民地時代を経て今に至るまで、移民によって構成される国である。そのためこの国における最初の文化は、移民によって異なっており、植民地時代の名残に過ぎなかった。このように、国の基礎を人種・民族やその文化の同一性に求められない所属感の希薄さは、自分が何者かというidentityに関わる問題である。そして、そのidentityの確立と他者排斥は、少なくともこれまでのアメリカにとっては、背中合わせの関係にあった。現在はアフリカ系アメリカ人の大統領が誕生するまでになったが、アメリカの歴史の中で奴隷解放宣言を発した大統領や公民権の法案化を推し進めた大統領は暗殺されたのである。

 

 

“Well, these books are all scientific,” insisted Tom, glancing at her impatiently. “This fellow has worked out the whole thing. It’s up to us who are the dominant race to watch out or these other races will have control of things.”

「そういう本はどれも科学にのっとって書かれているんだよ」、いらいらした目でデイジーを見やりながら、トムは言い張った。「著者はその問題を綿密に解析したんだ。注意深く見張るのは支配民族である我々の責務だ。さもなければ、どこかよその民族が支配権をさらってしまう」(訳:村上春樹

 

 

実際Tomの発言にもあるように、1920年代は移民排斥運動や移民法の制定が進む中で、Nordicismや白人至上主義が隆盛を極めるなど、「人種の坩堝」と呼ばれつつも決して異民族が溶け合うことはなかった。このようにして自分の所属する集団を確たるものにしていくことが彼らのidentityの確立のための方法であり、そのため彼らは「東部」や「西部」と同じく「イングランド系」や「ユダヤ系」「アフリカ系」というように前に置かれるその起源を重要視するのである。NickやGatsbyは東部に憧れを抱く西部の人間であり、Tomほどではないにせよ、その起源である北方人種としての誇りを持っている。だからこそ、東部の生活や価値観に相容れない、満たされないものを感じるのである。

 

本書の中では東部のイデオロギーとして、金を儲け、愛人を囲い、大がかりなパーティーを開くなどの場面が数多く描かれているが、それは競争社会で他人を蹴落として何者かになるという意味では、他者排斥と同じくidentityを確立するための手段であるとも言える。この資本主義での成功の象徴としてGatsbyが追い求めるのが緑色の灯火である。

 

 

“If it wasn’t for the mist we could see your home across the bay,” said Gatsby. “You always have a green light that burns all night at the end of your dock.”

Daisy put her arm through his abruptly but he seemed absorbed in what he had just said. Possibly it had occurred to him that the colossal significance of that light had now vanished forever.

「霧さえ出ていなければ、湾の向かいにあなたのうちが見えるんだが」とギャツビーが言った。「お宅の桟橋の先端には、いつも夜通し緑色の明かりがついているね」

 デイジーはふいに、彼の腕に自分の腕をからめた。しかしギャツビーは、自分が口にした言葉に深く囚われているようだった。その灯火の持っていた壮大な意味合いが、今ではあとかたもなく消滅してしまったことに、自分でもおそらく思い当たったのだろう。(訳:村上春樹

 

 

恋の相手のことを想う時にはその周囲も特別な意味を持つ。GatsbyDaisyに対して持つ象徴的イメージは対岸に見える彼女の家ではなく、その桟橋にある緑色の灯火である。その灯火を繰り返し目にする度に、彼のDaisyに対する想いは増していったに違いない。

緑は私たちに自然や安全などを連想させる色であるが、アメリカ人にとって緑色は、ドル紙幣の色という特別な意味も持っている。Greenbacksとも呼ばれるこの紙幣が生まれたのは1862年の南北戦争時代であり、この頃には既に定着していたものである。Daisyをイメージする灯火の色に緑色が用いられていることは、Gatsbyが「彼女の声にはぎっしり金が詰まっている」と言ったのと同じように、彼女が恋や愛ではなく、金や成功の象徴として描かれていることを示唆する。

しかし資本主義の成功にはゴールはない。より多く、より良いものを手に入れるだけだ。「その灯火の持っていた壮大な意味合いが消滅した」というのは、ゴールだと思っていたDaisyが単なる通過点でしかなく、ゴールは次の場所に移ったということを意味する。その意味ではGatsbyDaisyを失ったのは事故で死んだ時ではない。彼がDaisyを手に入れた瞬間に「それ」は「すり抜けていった」のだと言えるだろう。物語の最後はこう締めくくられる。

 

 

Gatsby believed in the green light, the orgastic future that year by year recedes before us. It eluded us then, but that’s no matter – tomorrow we will run faster, stretch out our arms farther…. And one fine morning –

So we beat on, boats against the current, borne back ceaselessly into the past.

 ギャツビーは緑の灯火を信じていた。年を追うごとに我々の前からどんどん遠のいていく、陶酔に満ちた未来を。それはあのとき我々の手からすり抜けていった。でもまだ大丈夫。明日はもっと速く走ろう。両腕をもっと先まで差し出そう。….そうすればある晴れた朝に–

 だからこそ我々は、前へ前へと進み続けるのだ。流れに立ち向かうボートのように、絶え間なく過去へと押し戻されながらも。(訳:村上春樹

 

 

Nickが「我々」と語ることで、この文章には自分を重ね合わせることができる。最初にこの文章を読んだ時には清々しく希望に満ちたものに感じたが、回数を重ねると、皮肉やむなしさも表現されているように思える。「絶え間なく過去に押し戻されながらも前に進む」のはまるで、それぞれの民族のイデオロギーに誇りを持ちながらも、終わりのない資本主義での成功を求めずにはいられないということのようでもある。多くのアメリカ人たちはそんな自分たちの姿を、東部のイデオロギーに翻弄されるGatsbyたちに重ね合わせ、共感するのではないだろうか。

 

  

 

- On n'est jamais content là où l'on est, dit l'aiguilleur.

"No one is ever satisfied where he is," said the switchman.

「自分のいるところが気に入ってる人間なんて、いやしない」と転轍手は言った。

(ANTOINE DE SAINT-EXUPÉRY, Le Petit Prince)