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音楽や映画、好きなものの雑記帳

CATCHER IN THE RYE

CATCHER IN THE RYE

J.D. Salinger

 

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ライ麦畑で「つかまえ手」

最もポピュラーな訳である「ライ麦畑でつかまえて」というタイトルは誤訳なのではないかという指摘がありますが、この訳は捕まえるという動詞の意味合いとともに、タイトルのようにキャッチャーの直訳「捕手(ホシュ、つかまえて)」としての名詞の意味も持たせているという、訳者の苦心の賜物であったことはあまり知られていません。

参考文献

朝日新聞』1987年9月12日夕刊

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Holdenの感じた幸福

 

16歳という発達の狭間にいるHoldenの見方には、自分を不幸にさせる大人への嫌悪感が目立ちます。しかしだからこそ際立っているのが、その中で感じる肯定的な感情です。Phoebeの乗る回転木馬をずぶぬれになりながら見ていた時に感じた幸せを見てみましょう。

 

“Boy, it began to rain like a bastard. In buckets, I swear to God. All the parents and mothers and everybody went over and stood right under the roof of the carrousel, so they wouldn't get soaked to the skin or anything, but I stuck around on the bench for quite a while. I got pretty soaking wet, especially my neck and my pants. My hunting hat really gave me quite a lot of protection, in a way; but I got soaked anyway. I didn't care, though. I felt so damn happy all of sudden, the way old Phoebe kept going around and around. I was damn near bawling, I felt so damn happy, if you want to know the truth. I don't know why. It was just that she looked so damn nice, the way she kept going around and around, in her blue coat and all. God, I wish you could've been there.”

 

全く突然all of a suddenという言葉に深い意味はありませんが、レコードを手に入れた時の表現も“Boy, it made me so happy all of a sudden.”と、よく似ています。レコードを思いがけず早く見つけられたのが嬉しくて、そしてPhoebeの喜ぶ顔を思い浮かべているのだろうと想像できます。しかし回転木馬の場面は、このレコードの幸せとは違って、それを感じる理由がはっきりしません。

 

しかしある程度の年齢以上の方なら分かるかもしれません。なんでもない日常の一場面で、恋愛とはまた違った、言いようのない幸福感に包まれた経験がないでしょうか。それはおそらく子供と一緒にいる時ではないかと思います。無邪気に遊ぶところや、寝ている我が子や家族を見守っている時に、ふとHoldenと同じように満たされた感覚を味わったことがあるのではないでしょうか。これは子どもにはない、大人ならではの体験だと思います。

 

 

"I thought it was 'If a body catch a body,'" I said. "Anyway, I keep picturing all these little kids playing some game in this big field of rye and all. Thousands of little kids, and nobody's around--nobody big, I mean--except me. And I'm standing on the edge of some crazy cliff. What I have to do, I have to catch everybody if they start to go over the cliff--I mean if they're running and they don't look where they're going I have to come out from somewhere and catch them. That's all I'd do all day. I'd just be the catcher in the rye and all. I know it's crazy, but that's the only thing I'd really like to be. I know it's crazy."

 

この本の題名になっている有名な場面です。このように子どもの守護者になりたいという思いは、Holdenがまだ子どもで、大人の欺瞞に満ちた世の中から自分たちを守りたいのだとか、自分をそんな風に崖から落ちない(ドロップアウトしない)ように守ってもらいたいと思っているからだと考える向きもあるかもしれません。

しかし私はそうではなく、既にHoldenは大人側にいると思っています。右半分の白髪もその象徴だと思いますが、上で述べた子どもでは感じ得ないであろう回転木馬の場面がその根拠の一つです。

そしてその場面では、もう一つ特徴的な描写がありました。バケツをひっくり返したような大雨です。多くの親が回転木馬の中で雨宿りしながら土砂降りの雨の方を見ていても、彼だけは回転木馬Phoebeを見守っています。ここでは他の大人との対比で描かれていますが、構図はライ麦畑と通じるところがあります。

つまりライ麦畑でHoldenの言う“周りに自分以外に大きい人はいない”というのは、「自分だけはきちんと子どもを守れる大人になる」という願望が込められており、それがHoldenの考えるキャッチャー、彼の理想の姿なのです。だから彼は自分が雨に濡れようと、たとえ崖から落ちようと気にしないでしょう。これは男の子によくある「学校に侵入して来た敵を倒してヒーローになる自分」を空想することに似ているかもしれませんが、より詩的で、大人の発想だと言えます。

まだ幼いPhoebeには彼の考えは全く理解できません。しかし私は、Holdenが欺瞞の世界で感じた幸せと夢見ている情景には、彼が大人になることを受け入れつつあるという証拠を見ることができると思うのです。